2017年11月30日

 

~お客様ひとりひとりへ最上級の施術や時間を提供~

 

【ゲスト社長】ANNA HAIR 高橋裕二さん

https://projectbyanna.jimdo.com/

 

優れた技術と感性を、地元へ

今回ご登壇いただいたのは、佐貫駅前で美容室を経営する「ANNA HAIR」高橋裕二さん。
地元・龍ヶ崎出身の高橋さんは横浜の美容室で修行したのち、5年前にお店をオープンしました。
Wella Trend vision にてジャパンファイナル第一位を獲得。ロンドンにて行われた世界大会へ日本代表として出場。その他数々のコンテストで優勝し、日本のみならず、海外での講習や一般誌、業界誌撮影など幅広く活躍しています。
25歳までは「なんとなく」過ごしてきた高橋さんでしたが、美容室業界で有名な先生との出会いがきっかけで、人生が大きく変わっていきます。
その出会いはどんなものだったのでしょうか?

■高校の先生の勧めに従って、美容の専門学校へ

もともとは美容師を目指していたわけではありませんでした。僕は絵を描くのが好きなので美術系の高校に通っていましたが、卒業後の進路を決める時期になって、担任の先生に美容系の専門学校を勧められたのがきっかけでした。

高校時代、なんとなく過ごしているような人生だったので、「都内の美容学校ならカッコイイかな」ていうくらいのノリで、進めに従って専門学校に行きました。

 

僕が進学した頃の専門学校は1年で卒業して、インターンとしてお店で働きながら国家資格を取る時代でした。

卒業した後も、特に「こんなお店で働きたい」という気持ちがあったわけではなく、学校の紹介で入ったお店で資格を取った後3年で辞めました。その頃は何となく仕事をしている感じで、お店や人のせいにして辞め、お店を転々としていました。

 

 

■絶対この店で働きたい!

先生との出会いは25歳の時。当時勤めていたお店のスタッフルームで、たまたま業界紙を読んでいたんです。その時に先生の記事が目に留まり、「絶対この先生の店で働きたい!」と思ったんです。

その方は業界で有名な先生で、当時「今のままじゃダメだ」と思っていた時期でもあったので、すぐそのお店に電話しました。

そこが、龍ヶ崎に帰ってくる前に修行していた横浜のお店です。

 

もちろん、すぐに入れた訳ではありません。業界で有名な先生ですから、志願者も多いし、先生の弟子の弟子などの知り合いが優先になるので、何のつながりもない僕が行っても、「誰だお前?」って門前払い。

そこで、先生が講習で各地へ行くときを狙って、ジャニーズファンじゃないですけど先生が会場から出てくるのを出待ちしたんです。でも3回くらい断られました。

それでもしつこく出待ちしていたら「じゃあ1回面接に来てみろ」と言ってもらうことができたんです。

当時の僕は耳はピアスだらけ、顔にもピアスをしているような格好でした。それで先生に「外して来い」って言われまして(笑)。すぐ外して面接に行きました。

その時すでに26歳、美容業界だと27歳くらいで店長クラスになるのですが、先生のお店では下働きから始まり、一から勉強させてもらいました。

 

先生の店は6店舗あって、全体で120人くらいのスタッフが働いていました。僕は支店に配属され、5~6年勤めました。

先生は本店にしかいないので技術を直に見ることはできませんでしたが、先生の一番弟子が支店の店長になります。働いていた支店の店長は僕と同じ歳でしたが、技術も人間性も全然違う。当時『Egg』というギャル雑誌が流行っていた頃で、店にはモデルさんたちがバンバン来る。店長はスタイリストとして、その雑誌に掲載されるような人でした。

一番厳しい人でしたが、いろいろ気づかされることが多くて、「まずこの人みたいになろう」と目標を立てて勉強しました。

■Wella Trend visionへの挑戦

店で働いて4~5年たった頃、Wella Trend visionに挑戦してみようと思いました。それまでもいくつかコンテストに出ていたのですが、Wellaのコンテストの時は猛烈に練習しました。1週間前くらいは毎日夜中の3時までやってましたね。

ロンドンでは世界から123カ国の代表が集まってきます。上位3名しか呼ばれませんが僕はたぶん4位でしたね(笑)。

ロンドン大会を通じて一番印象に残ったのは、たくさんの人に協力してもらったことです。モデルさんも毎日遅くまで残ってくれて、先生や先輩も毎日3時まで付き合ってくださいました。周りの人に助けてもらったから、日本で優勝できたのだと感じています。

 

 

■地域の一番を目指しなさい

お店で店長をさせてもらえるようになった頃、先生から「地元に帰って、地域を盛り上げなさい」と言われました。

僕も地元に帰りたいという気持ちが強かったし、これまでもほとんどの店長が「地域で一番を目指しなさい」と言われ、地元に帰っています。

地元で頑張ってもらうのが先生の考え方で、育てた弟子たちには、自分と同じ思いで人を育ててほしいという想いがあり、僕も常にそう言われていました。

 

地元に帰ってきて8年になります。本当は帰ってきてすぐ開業したかったのですが、毎日50体以上の人形の髪を切っていたのでお金がぜんぜん貯まらず、コンテストに出た賞金で生活をしていました。

帰ってきてから3年間は地元のお店で働いてお金を貯め、5年前に開業しました。

開業したての頃は、お客様も少なかったしスタッフもいなかったので、営業中に壁を作ったりしていました。自己資金も少なかったので、水道の配管を伸ばすことができず、シャンプー台が真ん中にあるんです。働いて3年で開業して、5年で改装すると決めていたので、今年の夏に改装します。

 

現在はスタッフ3名でやっていて、家族で来てくださるお客様が多いです。ほとんどが近隣に住んでいる地元の方で、お母さんのカットを見て娘さんが来てくれます。反対のことは多いですが、あまりないことなのですごく嬉しいですね。

店を増やしていくことは考えていないのですが、今後はネイルやまつげなど、トータルで女性が綺麗になっていくサービスを展開していきたいと思っています。今度、2階にヨガスタジオをオープンさせる予定です。

 

 

美容師は感性の仕事とよく言われますが、展開図といって、髪の毛にも建築のように設計図があります。基礎となる勉強をしっかりしているかどうか、理論を理解しているかどうかが大事だと考えています。

普段から、僕は「いいもの」を見るようにしています。自然のきれいなものを見たり、美術館が好きなので美術館に行ったり、きれいなものを取り込むようにしています。それを絵に描いて、家で展開図を描きながらイメージを髪の毛に落とし込んでいく作業をしています。

また、お客様となるべく話をして、好みや生活環境などを理解するようにしています。例えば職場の環境で明るい色の髪にできない方であれば、髪型で顔の周りを明るくしてあげたり、毎朝女性誌を読んでトレンドを勉強しています。

 

 

■自然とスタッフが勉強をしていく環境を目指して

先生に教わったことを次の子たちに伝えていかないといけないので、教育にも力を入れていきたいです。

以前、髪に没頭して欲しかったので寮も完備して、遊ぶ暇がないような環境で教えようと北海道まで行ってスタッフを募集したのですが、誰も来てくれませんでした。しつこくまた行ってみようと思っていますが。

地元の子だと、どうしても遊んでしまうんですよね。友達もいるし、みんな遊んでいるし。僕もそうでしたので気持ちはよく分かりますが、美容師のアシスタントの時期って5年くらいしかなくて、スタイリストになってしまうと誰も教えてくれない。それまでにどれだけ時間を髪に費やせるかがその先を決めるので、5年がすごく大事なんです。

強制するのではなく、自然と勉強していくような環境を作っていきたいと思っています。

 

 

できることからコツコツと

ANNA HAIRではブログのほかに、Facebook、LINE、Instagram、TwitterなどのSNSを活用しています。

「できることは何でもする」と語る高橋さんが一番辛かったことは、お店を出したくてもお金がないことでした。自己資金が少なかった開業当時も、自分で壁を作ったりペンキを塗って、コツコツとお店作りを始めます。

 

はじめから理想的な状態を作るのは無理でも、まずはできることからコツコツ始めることで、次のステップにつながる社長塾となりました。

ファシリテーター:フリーアナウンサー 小村悦子

写真・レポート:JAMWorks 宇津井志穂

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