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第10回 社長塾&交流会 開催報告【株式会社ブームス 山崎徹さん】

【開催報告】

3月9日(木)、10回目となる「社長塾&交流会」を開催しました。
今回は、ワタシの街の情報誌Match-46(マッチ・ヨム)2016年3月号にご登場していただきました
株式会社ブームスの山崎徹さんをお迎えしました。

聞き手は、一般社団法人とりで起業家支援ネットワーク理事・吉田雅紀です。

おしゃべりの二人は事前打ち合わせでしゃべりまくったそうで、喉がカラカラの状態でスタートしました。
それにしても、二人はよくしゃべります。

ブームスは、取手を中心に、つくば、柏に店舗を構える
家具、インテリア、雑貨などを扱うお店です。
最近は、ショップなどの空間、店舗デザインなどを手掛ける事業も行っているとのことです。

まずは、店舗のお話から始まりました。

吉田
家具屋さんは、そこそこ広さが必要ですよね。

山﨑さん
今やっている店は大きくても150坪くらいですね。
ブームスを始める前に家具問屋にいて、200坪くらいの店しかやっていないときに
取引先に「これからの時代、1000坪ないと家具屋はやっていけないよ」
と言われたのが腹立たしくて、腹立たしくて。
絶対100坪くらいの店で成功してやるという気持ちがありました。
そういうこだわりがあります。

吉田
今の店をスタートしたのは何年前ですか?

山﨑さん
ブームスが始まったのは13年前ですね。
それまでは山崎家具を親父がやっていました。
街の家具屋さんでしたね。

吉田
2代目なんですか?

山﨑さん
血筋で言うと僕が5代目になります。
山崎家具の看板がうちにありますが、一番古い看板は大正元年のものです。
ブームスというのは、僕が創業しました。
なぜ僕が創業したかというと、山崎家具が廃業したからなんですね。

吉田
お父様が廃業されたときは、一緒に働いておられたんですか?

山﨑さん
そうです。
専門学校を出て、東京・入谷の家具店で働き始めたんですね。
当時は家具屋の街で、いっぱい店が並んでいました。

吉田
小さいころからこの商売を継ぐんだろうなという意識はあったんですか?

山﨑さん
そうですね。
専門学校でもインテリアデザインの勉強をしました。
いつか継ぐんだろうなとは思っていました。でも本当は、家具屋で働きたくなかったんですよ。

卒業するときにオリエンタルランドの入社試験を受けました。
そのとき周りは有名大学の学生ばかりで、僕だけが専門学校でした。
筆記試験の問題も見たこともない問題で落ちました。とても悔しい思いをしました。

そして家具屋に入ったのですが、縁故だったんですよ。親父と取引のある会社で。

吉田
お父様は昔から家具屋?

山﨑さん
親父はもともと東京でガラス職人をやっていて、山崎家具は母方の実家がやっていた店です。
母は、男1人女3人の兄弟ですが、長男が交通事故で亡くなって、姉2人は嫁いでいったので、
このままでは山崎の血が途絶えるというところで、親父が継ぐことになりました。
親父も創業者みたいなもので、誰も教えてくれないから商工会、問屋さんなどから教えてもらって商売をしました。

吉田
当時のお父様には辞めるという選択肢はなかったんでしょうね。

山﨑さん
親父はすごい根性があるなと思います。それがなかったら今の僕はないですから。

僕は20歳から働いて、25歳のときに戻ってきました。

そのときの僕はダメで、遅刻でクビになったようなものですよ。
「今のままじゃ、お前はどこに行っても通用しない」って言われました。

その後、デザイン施工会社にたまたま受かったのですが、
どうやってさぼるか、どうやって自分の好きな仕事をするかしか考えていませんでした。

最初は営業で入ったのですが、現場がどうしても好きだったので、入って数か月で別の部署に行かせてもらいました。
でもすぐに、現場がしんどくて、また営業に行かせてくれって。
ただ、自分で取ってきた営業は、現場も行かせてくれって言いました。わがままですね。
でも、それを上司はOKしてくれたんですよ。

さぼり癖があるのに、自分の好きな仕事には熱心でしたね。

吉田
いい環境だったのではないですか。

山﨑さん
そうですね。やりたい仕事もできましたし。

吉田
それで山崎家具に戻ってくる?

山﨑さん
嫁が結婚したいということだったので結婚しようと。
そのとき僕は、結婚する気もなかったし、お金も貯めていませんでした。
実家に帰れば、親がお金を出してくれるだろうという甘い考えで戻ってきました。
実家を継ぐために戻ってきましたという口実で。
すると、親が喜んじゃって。
「店を3倍くらいの大きさにしよう。そうしたら売り上げも3倍だ。裏にお前たちの家も建ててやるよ。
お前は家具屋で働いていていたんだったら、レイアウトも好きにしたらいいよ。」とか言って。

藤代町の田んぼの真ん中のお店で
どんぶり勘定で経営していたら、どうなるか分かるでしょ。

うちのおかあちゃんも息子には苦労をかけたくないということで、
経理、帳簿のことはまったく知らされてもらっていませんでした。
お前の好きなようにしていいよと言われていても分かるんですよ、売り上げが上がっていないことを。
周りに1000坪以上の大きな家具屋が出てきて、こっちは150坪ほどの小さなお店。
どんどん売り上げが落ちていくんですよ。

結局、店はダメになって、廃業を決意しなくてはいけなくなるんです。

お店を畳んで、この場所を貸せば、親父は家賃収入があるだろうと。
僕はどこかに働きに出ようかなと思っていました。

廃業を決意する直前は寝られない日々が続きました。
嫁がいる、小さな子供がいる、明日売れなかったらどうしよう。
この恐怖感が今の僕のエネルギーになっていますね。

山崎社長にはこのような歴史があったのですね。
続いて、ブームス誕生について話が及びます。

吉田
それでサラリーマンに戻ったんですか?

山﨑さん
今まで好き勝手やらしてもらっていたので、
「自分なんて無い」と考えて、生活のためだけに働こうと腹をくくったんですね。
人間って腹をくくると不思議と手を差し伸べられるもので
お付き合いのあった家具屋の社長さんが、
「行くところないんだったら、うちで働かないか」と声をかけてくださいました。

そのときは「こんなに苦しい思いをしたのに、また家具屋か」と思いました。
もう商売なんかするものかと思っていたのですが。

家具屋の社長が「これからはアウトレットの時代になるから、問屋直売の店を週4日やりなさい。
月20万円で家族は飯が食えるだろ」と。

とてもありがたかったです。
でも食っていくことはできるけれども、借金が残っている。借金も返していかないといけない。どうしようと。

そうしたらその社長が「残りの3日でもう一度家具屋をやりなさい」
山崎家具だった場所は貸すことになっていました。
これで親父の借金を返す予定でした。

田んぼの真ん中のスーパーの隣の100円ショップの2階、
こんなところにある家具屋に誰が行くんですか。
その社長は、それをやれっていうんですよ。
休みがないなと思ったのですが、一度自分は死んだものだと思っていたから、
最後の助け舟だと思って、「やります。やらせてください」と返事しました。

「商品はうちの問屋で扱っているものを自由に仕入れていいから
毎月、私に売上報告をしなさい。売れた分だけ、私に仕入れ値を払えばいいから。
まずそれで商売を始めてみろ」と。

吉田
なぜ信用していただいて、チャンスを与えていただいたと思いますか?

山﨑さん
そうですね。
そのとき34歳くらいだったのですが、家具屋をやっているのに、金髪坊主だったんですよ。
家具の仕入れに行ったとき、周りのみんなは問屋に対して偉そうにするんです。
でも僕は、「買っていただく買わせていただいている」というのが商売だと思っていました。
周りのおじさんたちの商売がどうも納得がいかなくて。
僕は誰とでも分け隔てなく接していて、それが商売人に向いていると思われていたのかもしれませんね。
金髪と態度のギャップが印象に残っていたのかもしれないですが。

吉田
仕入先様にもそういう態度でいないといけないって分かりますが、
なかなかできないものですよ。どこで教えてもらったの?

山﨑さん
普通に生きていれば分かるじゃないですか。
僕は小学校で習ったことをそのままやっているだけですよ。
大人になると、「こういうものだ、こうあるべきだ」と社会に毒されていくんじゃないですかね。
そういう偉そうにしている人たちは、お客様に同じようにされているのかな。
僕たちのところにはそういうお客様は全然来ないですから。

吉田
田んぼの真ん中のスーパーの隣の100円ショップの2階の家具屋は
売上が上がったでしょ?

山﨑さん
簡単に上がるわけないですよ。どうやってお客様を呼ぶんですか。
看板がかかっていても、僕でも行かないですよ。

みなさん、想像してみてください。
田んぼの真ん中のスーパーの隣の100円ショップの2階に家具屋さんがありました。
どんなものが並んでいて、どんな人が売っていると思いますか?

ダサい家具がズラッと並んでいて…

どう考えたって入らないでしょ。そんな店。
業界の人に聞いても200%成功しないというような店です。
2階の家具屋で成功した試しはないですから。

でも僕にはそこしかなかったんですよ。
そもそも家具屋は2度としたくないと思っていました。

店の名前は「再生工房」と決められて、場所も売るものも働く日数も決められている。
これが良かったと思っています。

みんなは何の商売しよう、悩むことがいっぱいあります。

僕の場合、与えられた環境でベストを尽くすことだけを365日24時間、徹底的に考えることができました。
どんな商品を並べよう、どこに店を構えようなど、余計なことは考えなくてよかったんです

普通にやってても、田んぼの真ん中のスーパーの隣の100円ショップの2階に人は来ない
というところから考え始めて、そこだけをずっと考えました。

そして、こんなところに店があることを知らない人、来ない人に対して、
こんな店ですよ、こんなものがこの価格で売っていますよ、ということを正しく伝えれば、人は来てくれるんじゃないかと考えたんです。

人は目的意識を持てば、どこにでも来てくれると思ったので、
必要としている人に対して、正しい情報を届ければ来てくれると。
人が多い地域の店が売れるのであれば、渋谷の店はつぶれないことになります。
人の少ない地域でも目的意識を持ってもらえれば来てもらえるということに気づいたのです。

このスーパーの商圏はたかだか5㎞、
5㎞離れれば、ここにスーパーがあるってことも知らないので、「ドーナツ大作戦」だと考えて、
5㎞以上離れたところに、商品の写真と値段だけを掲載した折込チラシを入れました。
ここに田んぼがあるってことも知らないし、田んぼの真ん中にスーパーがあるってことも知らないし、
その隣に100円ショップがあることも知らないし、その2階に家具屋があることも知らない人に対して、アプローチしようと。

それでようやく売上が上がってきました。

でもその社長のところを1年で切られることになるんです。
ほかの社員がやきもち焼いちゃって。「あいつばかり特別扱いしている」という声が出てきてしまって。

その社長からは「売上もついてきたし、自分の店に専念しなさい」と言われました。
20万円の給料がなくなるのは正直きつかったですが。

そのころ、「再生工房」ではなく、「ブームス」にしました。

うちに来てくれている人がアウトレットで来てくれているのではなかったんです。
面白いもの、赤や黄色のソファが市場にあまりなかった時代だったので、うちに求めに来てくれました。
僕はこれからの時代、家具屋はアパレル業界のように、より細分化されていくだろうと考えて、
アパレル業界ならデパートではなく、ジーパン屋になろうと。
それで、若者向けのカジュアルな家具、個性的な家具を150坪の店内に揃えることになったんです。

吉田
これが皆さんご存知のブームスのスタートなんですね。

山崎社長の原点が見えてきました。
そして山崎社長は熱い思いも語ってくれました。

山﨑さん
今商売をやっているのは、その社長から命を与えていただいたからだと思っています。
ブームスは人様の店という意識です。
だから汚い商売はしないように心がけています。

勤めるのを辞めてからもその社長のところから商品の供給はしていました。
でも、その社長の家具屋が廃業したのです。
そのとき辞めさせられた理由が分かりました。
僕だけ脱出カプセルに乗せて、お前だけ生き延びろと外に出してくれたのだと思いました。

ブームス2号店のオープンの日に朝早く、社長がご夫婦で来てくれました。
家具業界では、鬼社長で知られている方なのですが、
「ここまできたか」と号泣してくれたのです。
そのときに、僕はこの社長に生かされたんだなと感じました。
切られたときに憎んだりもしました。
でも、その涙を見たときに、社長は僕のことを考えてくれていたんだなと。

吉田
これからの展開はどのようにお考えですか?

山﨑さん
この商売の完成は、ブームスを手放すことです。
手放せて、初めて成功なんです。
僕は60歳で商売を辞めると決めているので、あと12年です。
この店は人様の店なので、繋いでいくことが大きな役割です。

お話が盛り上がり、あっと言う間の1時間でしたが、
平素の行いを何よりも大切にして経営をするブームスの山崎徹社長の素顔が垣間見られた社長塾でした。

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