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第六回 社長塾&交流会 開催報告 【夢スタジオ・ピン歩気 石井一彦さん】

【開催報告】

11月10日(木)、第6回社長塾&交流会を開催しました。
今回は、会社設立41年。取手市を愛し、取手市民に愛され、歩んでこられました
夢スタジオ・ピン歩気の石井一彦さんをゲストにお迎えしました。
聞き手は、一般社団法人とりで起業家支援ネットワーク理事・吉田雅紀です。

まずは、やはりネーミングのお話からです。

吉田
写真スタジオなのに「ピン歩気(ピンボケ)」というネーミング、面白いですね。

石井さん
写真スタジオの名前をどうしようか友達と話していたんです。
その中で「ピンボケ」という名前が出てきて、良いなと思いました。
彼はカタカナが良いと言っていたのですが、帰りの電車の中で
もうちょっとひねりたいなということで考えました。
「ピン」は、「ピンからキリまで」の「ピン」で、「1(イチ)」という意味もあるので残そうと。
「ボケ」を考えていると、「大歩危(オオボケ)小歩危(コボケ)」が浮かんできました。
「歩む危ない」だと良くないけれど、「歩む」は良い意味なので入れたいと。
そして、気持ちの「気」を「ケ」と読めるので、
「ピン歩気(ピンボケ)」で「ピンとした気持ちで歩んでいこう」という
3つの意味を引っかけてこの名前にしました。

吉田
写真スタジオなのに「ピン歩気(ピンボケ)」という名前は、
しゃれっ気があって、忘れたくても忘れられないですね。

親しみやすくて記憶に残るネーミングが長年取手市の方々に愛されてきた理由の一つかもしれませんね。

 

次に、石井さんの今までの仕事の話に移りました。

吉田
写真スタジオの前はいろんな商売をされていたようですね。
駄菓子屋さんや模型屋さんもされていたとのことですが、最初の商売は何だったのですか?

石井さん
写真と駄菓子と骨董と模型です。

吉田
同時に始めたんですか?何年のお話ですか?

石井さん
昭和50年、1975年です。28歳ですね。

吉田
28歳までは何をされていたんですか?

石井さん
自分の性格を小さいころから何となく分かっていまして、自分本位でわがままなんです。
人から言われたことをやらないので、自分で商売をやらないと生きていけないだろうと
昔から思っていました。

高校を卒業して、電気の専門学校に2年通った後、日立製作所の横浜工場で
カラーテレビの品質管理をやりました。
親は大きな会社に入ってほしいと願っていると思いましたので。そこで1年9か月働きました。
そのころ「一つの歯車ではなく、一つの原動力になりたい」と言っていましたので、
組織の中で人から言われたことをやるのが苦手だったんです。
当時から写真が好きで、写真をやりたくなったので、日立を辞めて、
カメラを持って日本全国、北海道から九州まで蒸気機関車を追いかけました。

吉田
そのときのお金はどうしたんですか?

石井さん
半月はアルバイトして、半月は旅に出る、そんな生活でしたね。
昔は「周遊券」がありましたので、北海道1周、東北1周、九州1周なども安くできました。
そのときのバイト先の銀座の焼鳥屋さんも良くしてくれて、寝袋をくれたり、写真をお店に飾ってくれたりしてくれましたね。

吉田
元祖フリーターですね。そのころ、そんなことしてる人、周りにいなかったでしょ。
日本の若者はみんな、大きい会社に就職しましたから。

石井さん
僕も1回しましたよ。
そんな生活を半年くらいしていまして、今度は写真屋に就職したんですよ。
白黒の現像をしたり、バイクで配達をしたりする仕事で、1年6か月働きました。

それから、そこの取引先の写真屋さんに入りました。建築写真を専門に行っている会社で1年3か月いました。

そのころ休日は結婚式のスナップ撮影をしていました。
大井町に住んでいたときの大家さんのお知り合いの方の結婚式の撮影を頼まれたんです。
お金持ちの方が多く、大きなホテルに撮影に行っていました。
当時としては良い報酬でした。1日3件入ることもありました。

そして大井町に住んでいた24歳のときに結婚しました。
子どもができたときに、空気の良いところに引っ越したいということで、
南浦和に引っ越し、そのときに勤めていたのはカラーラボで3年間いました。

吉田
3年も同じところに勤めているなんて珍しいですね。

石井さん
そうでしょ。
なぜ3年いたかと言いますと、人生において3年も勤められないようではまずいだろうということで、
1つだけでも良いから3年勤めたところを作ろうと考えたんです。

吉田
お父様は怒りませんでしたか?
当時の方の感覚からしたら、1年ちょっとで職を変えるなんて。

石井さん
そうでもなかったですよ。ちゃんと働いていればいいわけだから。

吉田
石井さんの性格を理解されておられたんですかね。

石井さん
そうだと思いますよ。
日立に入るとき、父に言いました。安心させるために入りましたけど3年はいないよって。

そして3年会社に勤めている間に、取手で開店しました。カミさんが店番をして。

吉田
なぜ取手だったんですか?

石井さん
姉が結婚して取手に住んでいたんですよ。父が親戚から買った土地を持っていたので。
その土地を借りることもできたのですが、小学校のころからの友人が
「借りるんじゃなくて、買ってお店を始めれば」とアドバイスをくれたんです。
それでそこの土地を買って始めました。
その5年後には裏の土地を買うことができ、写真スタジオと模型売り場のスペースにしました。

吉田
商売のコツや資金繰りなど、どこで勉強したのですか?

石井さん
僕は細かいことは分からないです。
以前の職場で販売をやったことがあったくらいです。
僕は夢ばかりで動くほうで、計算して動くことはできなかったです。
運が良かったと思います。

ただ、36歳のときに写真学校に行きました。
「これからの企業は専門店じゃないと生き残れない」と感じたからです。
それまでは電気の学校しか行っていませんでしたから。写真は趣味でやっていて、自己流だったので。

吉田
今までずっと、自分の好きなことを商売にしようと思ってきたのですか?

石井さん
そのほうが楽ですよね。
2代目3代目はかわいそうですよ。後を継がないといけないので。
好きなことじゃないかもしれないですものね。

好きなことを夢中で追いかけてきた熱い部分がある一方で、
自分の強み・弱みを見つめ直して、外部環境を把握して、
写真の技術を高めようという冷静な判断を下した石井さん。
単に夢を追いかけていただけではないように感じました。

冷静な部分はこんなところにも垣間見えました。

吉田
バブルの時代はどうだったんですか?

石井さん
バブルというのを知らないんですよ。株もやらなかったし、土地も買わなかったので。
お金があると貯金をしていました。

吉田
意外と堅実ですね。

石井さん
汗水を流して得たものがお金で、それ以外のお金はお金ではないという考えがあるんですよ。やっと、本業の写真について話が及びます。

吉田
昔はフィルムがもったいないからパシャパシャ撮れないですし、現像するまで出来が分からないので、
大変だったのではないですか?

石井さん
結婚式の写真はドキドキですよ。緊張しました。
フィルムの交換のタイミングに気を使いました。
36枚撮りのフィルムであと10枚残っているけれども、今交換しないと途中で撮れなくなったら困るなとか。
また、カメラ、ストロボを必ず2台持って行くようにしています。集合写真は必ず2台で撮るんです。
前日にいくらチェックしても、当日調子が悪いことがあるんです。本当に怖いですよ。

知り合いのカメラマンで、結婚式の集合写真を失敗したので、自腹で100万円払って、撮り直した人もいました。
列席者にもう一度式場に来てもらわないといけませんから。

吉田
今はスタジオ?カメラの販売はしていないのですか。
スタジオに集約していったのが良かったんですかね。

石井さん
物販はほとんどしていません。
物販よりも技術職のほうが、利益率が良いですね。それでうちは残れたんでしょうね。

昔の写真館は七五三と成人式だけで食べていくことができたんです。
僕たちのころはもうそういう時代ではなかったです。

吉田
昔は家族で写真撮りましたよね。

石井さん
昔は家庭にカメラがなかったですから。
今は家族で写真館に行って写真を撮ることは少なくなりましたね。

僕は本当に運が良かったと思います。
カミさんは商売上手だし、その他いろんな人にも助けてもらって、ここまでやってくることができたと感じています。

吉田
情報を発信していない人のところには、情報は集まってこないです。情報も運も集まってくるということは、きっと周りの人のお役に立っているということだと思いますよ。石井さんが長年、取手市で愛されている理由を少し覗き見ることができた社長塾でした。

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