2018年11月21日
~人と人とのつながりを大切に~
【ゲスト社長】浪漫亭 倉持 照男さん
https://ibanavi.net/shop/3700/
今回ご登壇いただいたのは、浪漫亭 倉持 照男さん。
常総市でダイニングバーを営む倉持さんは、2018年5月からマッチ・マーケットに出店しています。「駅ビルに内にお店を出すのは初めてなので、商売の原点に戻り、本店とは違う集客やメニューづくりなどを工夫しています」と話します。
マッチ・マーケットで常連になってくれたお客様が、友達や知り合いをお店に連れてきてくれたり、SNSなどでお店の紹介をしてくれたりと、新たなネットワークが広がっているといいます。
「商売の基本は“人”」と語る倉持さんにご登壇いただきます。
■常総市の人気店
常総市の水海道で「浪漫亭」という洋風居酒屋を経営している倉持さんは、2018年5月から10月まで、マッチ・マーケットにも出店していました。本店の浪漫亭は、オープン当初は夜だけの営業でしたが、5年前からランチを開始。お昼から深夜まで営業しています。
もとはフィリピンパブだったお店を居抜きで借り、最大で180名ほどが入れる広々としたお店です。オープンして7年目になります。
ライブやイベントなども行っています。
■マイナスからのスタート
浪漫亭を始めたのは40代前半のころです。お店を始める前までは飲食店を経営している会社に就職し、店長やエリアマネージャーを経験しました。ところがその会社が夜逃げ状態で倒産してしまい、当時の従業員と8店舗あった店を分け合いながら続けることになりました。
当時を振り返ると、あの時に民事再生で会社も店も潰す方が良かったのですが、従業員や酒屋の支払いはその店舗の店長が責任を取らなければ、という思いに駆られていました。会社はなくなりましたがそれぞれの店が法人を立ち上げて店を継続しました。何ヶ月も給料がもらえない状態が続いていたし、考える余裕もなかったので誰かに相談することもありませんでした。今にして思えば、誰かに相談すべきだったと思います。
借金が何百万もあるようなマイナスからのスタートだったのでなかなかプラスにできず、2年で店を畳み、サラリーマンに戻りました。それからやり直そうと7年前に浪漫亭を始めました。
■「やめる勇気」
そのマイナスからのお店を2年間やってきて、「やめる勇気」を学んだことですね。どう考えても無理なのに「もったいない」とか「やらなくちゃ」という考えにとらわれてしまうんです。周りからは「よく2年でやめられたね」と言われましたが、実際はもっと早くやめられたし、やらなければ良かったと思っています。
社長になりたい、という夢があったので、結果的に社長になれてしまい、ある意味で目標を見失っていたと思います。今になればつまらないプライドだったのですが、名刺を出して「社長ですか」と言われるだけで天狗になっていました。志が低かったなと感じています。
当時は住宅ローンも残っていたので、もう40を超えていたので正社員ではなかなか見つからず、どこでもいいからとパートを掛け持ちしていました。ただ1ヶ月間ほぼ休みなしで働いて何とか30万程度稼いでいて、こんな生活が後何年続けられるだろう?と考えたときに、無理だろうと思いました。
若いころ工場で働いていたので、工場関連の資格は一通り持っていて、どこでも雇ってくれるだろう思っていたのにどこも雇ってくれなかったことも大きかったです。
人生80年で、ちょうど人生を折り返したと思って、もう一度やり直そうと思い、浪漫亭を始めました。
店の場所は、当時自分が働いていたお店で、東日本大震災でお店を畳んでからずっと空いていたんです。その大家さんとは昔からの付き合いだったので初期投資も低く抑えることができましたし、昔の店で取引していたお店とも、未だに取引させてもらっています。ご縁は本当に大事だと思っています。
浪漫亭をスタートしたばかりのころは、茨城ではネットでの宣伝が浸透していないころでした、フェイスブックなどのSNSもユーザーが少ないころでしたが、いち早くネットでの宣伝に取り組みました。フェイスブックのチェックイン機能で、お店をチェックインしてくれた方にはサービスをしたり、ぐるなびや食べログなどに写真つきで広告を出したり、必ず「水海道の居酒屋」というワードを入れてネットでの宣伝に力を入れ、お店をPRしました。
始めは浪漫亭の名前だけが有名になっていく感じで、実際にどこにあるのか分からない。という人が多かったのですが、常総市には「水海道祇園際」という大きなお祭りがあって、その祭りを見に来た人が浪漫亭の看板を見つけて「ここだ!」となり、それから一気にお客さんが伸びました。
■人と人とのつながりを大切に
オープンして4年後、関東・東北豪雨で鬼怒川が決壊し、常総市が大きな被害にあいました。私の店はなんとか無事だったのですが、数十メートル先は水没してしまいました。それまで順調だった店も一気に冷え込んでしまい、どうしてこんなに苦労が続くんだろう?と思いますが、それを機にさまざまな方と知り合って、今は町の活性化につながる活動をしています。
いろいろ大変なこともありますが、いい経験をさせてもらっています。
石の上にも3年?
本部長の吉田は、自ら事業を畳んだ経験から、別のセミナーでも「石の上にも3ヶ月やで」と言うそうです。上手にできなかったら、今日よりも明日、明日よりも来年、絶対に借金が増える。だから早くやめたほうがいいと語りました。
うまくできていない事業にしがみつく必要はないのに、自分の人生と事業がイコールのように考えてしまうため、なかなか辞められないそうです。
どの段階までいったら辞めよう、という指標を作っておくこと。と学んだ社長塾でした。
ファシリテーター:フリーアナウンサー 小村悦子
写真・レポート:宇津井写真事務所 宇津井志穂