2018年5月10日

~違う!おいしい!お肉で笑顔にしたい~

【ゲスト社長】日本畜産振興株式会社 安藤 貴子さん

http://www.ncs-r.co.jp

今回ご登壇いただいたのは、取手の豚肉バナナポークでおなじみの日本畜産振興株式会社 安藤 貴子さん。

バナナポークは臭みが少なく、豚肉が苦手な人でも食べやすいのが特徴のブランド肉。輸入とうもろこしの価格高騰により、配合飼料の価格に頭を悩ませていた養豚生産者のためにと思い、安藤さんの弟が考案。フィリピンのバナナを乾燥させて飼料にしたのがきっかけでした。

現在は豚肉の卸だけでなく、海外からの技能実習生を受け入れ、技術や語学を身につけられる学校を開校しています。

美味しい豚肉と地元に愛される企業を目指し、今後の畜産や海外の人材育成に対する想いを伺いました。

■創業50周年

日本畜産振興株式会社は2017年に50周年を迎えることができました。

先代である父が事業を起こしました。父はほとんど家にはいませんでしたが、私は両親の姿を見て育ってきました。

■父が亡くなり、弟も急逝。そして社長を継承へ

父は千葉県我孫子市の出身で、縁があって取手市の高井と場を買い入れ、と畜解体業を始めました。

私は後継者として育てられたわけではなく、中学・高校から10年間バスケットボールをしていたので体育系の大学を卒業後は体育の教師をしていました。それから会社の経理の社員が退職するのでやってほしいと言われ、2年ほどで教師を辞めて会社に入りました。

その後父が亡くなり、母が事業を継承しました。しかし母の右腕として当社のブランド肉のバナナポークを立ち上げた弟も42歳で急逝。それからしばらくして母も倒れてしまい、私が事業を継ぐことになりました。

その頃は会社も苦しく、私が会社に入った頃にはすでに火の車でした。バブル崩壊前からでしたので、実際に銀行との取引がストップしたのは平成2年から。その後は銀行からの融資もないまま14年ほど泳いでいたわけですね。平成16年から5年間、民事再生をしました。民事再生中の平成18年に私が事業を継ぎ、その後民事再生を半年ほど繰り上げて終わりにすることができました。しかし終わった途端に弟が亡くなり、その1ヶ月後に母が末期ガンといわれ、バタバタの最中を過ごしてきました。

■民事再生への決断

民事再生をする時に、母に「お前は親を殺すのか」と言われました。その時は母が社長でしたが、民事再生は会社もなくなりますが家も全部なくなりますから、「全部無くしてまで会社残すのか」と言われました。しかし私は「会社を残さないと自分たちも従業員も生きていけない。だからやるんだよ」と言いました。

民事再生中は毎日「明日どうしよう」と考えていました。朝になれば「今日どうしよう」と。ようやく1日が終わったと思っても計算するとマイナスで、「明日どうなっちゃうんだろう」と思ってばかり。手形は入ってくるし、また喧嘩しないとなー。と、毎日がバタバタでした。今にして思えばよく生きていたなと思います。何回死んだかわからないくらいです。

ただ母は、うちは食べ物商売なので絶対になくなることはない。借金はできただけ偉い。信用がないと借金できないのだから命まで取られることはないという考え方の人だったのでついていけたと思っています。

■バナナポークの誕生

バナナポークは弟がフィリピンで開発し立ち上げました。私がはじめて現地でバナナポークを食べた時、豚のにおいも全然なく、鳥のササミみたいに淡白であっさりしていて柔らかく、これが豚肉なのかと驚いたんです。

バナナだけで育てた豚の融点は31〜34度くらい。普通は38〜39度なので、とても低いんです。

当時豚の餌の高騰で調達が厳しかったので、捨てられているバナナを餌に入れたのが始まりでした。

弟がバナナを飼料にする工場をやっていたのですが亡くなってから1年半後に工場は閉め、今は現地に依頼して輸入しています。バナナの中身だけを使っているので餌代は国内より高くなっていますが、弟が現地で働いている子供達にお小遣いをあげたいという気持ちからバナナの皮を剥かせ、豚に与えていたようです。中身だけを与えていたからこそ、いい肉ができたんですね。

もともと、と畜場がメインの事業なのですが、と畜のイメージを変えたい気持ちもありバナナポークというブランドをつけました。

■外国人研修生の受け入れ

現在、海外からの研修生も受け入れています。私が経営に携わる前から取り組んでいました。研修生という制度は昔から日本にあったのですが、大手しか取り入れておらず繁忙期に半年だけ、というスタイルでした。平成3年に公益財団法人国際研修協力機構(JITCOジツコ)という財団法人が設立された頃には南米の日系人を受け入れるようになっていたのですが、みんな辞めてしまいました。

それから研修生をお願いしてもなかなか続かず、自分でやるしかないなと思い、中国・タイ・ベトナムの受け入れを始め、現在は320人ほどを受け入れています。

2009年に日本語学校を立ち上げ、日本で働ける外国人を育てています。実習生のためだけでなく、留学生として進学したい子たちを高校卒業レベルで入国させ、週28時間は企業でアルバイトしながら大学や専門学校に進学させています。

日本が労働者不足になることを30年前から感じていたので、外国人の日本語学校を作るしかないと思っていました。“労働者”というビザは日本にはありませんから、日系人か配偶者を連れてくるか、学校を作って大学卒業レベルの子たちを就職させるしかないと思っていました。

1年間に100人くらいの外国人が入学しますが、いま私の学校で卒業してうちの事業所で働いてくれているのは3人です。もっと来て欲しいのですが、工場やファミレスやコンビニなど、割のいい仕事に流れてしまいますが。

■皆さんへのメッセージ

最善を尽くす。自分がやれることはやる。ただ、背伸びはできないし、やらないことにしています。

「頑張る」という言葉を今日たくさん言いましたし、皆さんもよく使われると思います。頑張るって、忍耐とか苦難を乗り越えていくことも必要になりますが、私がバスケットをしていた時に「頑張って」「頑張って」とたくさん応援をもらうのに、頑張れないことがコートでありました。これ以上頑張れないのに、頑張ってと言われると苦しくなる。皆さんもそういう経験があると思います。

どんなことでもいずれはゴールを迎えます。「頑張る」という漢字を「顔晴(れ)る」に置き換えて、「頑張って走るけど、最後は顔が晴れてゴールしよう。晴れた顔でゴールできたら、また頑張れる」ということを皆さんにお伝えしたいと思います。

顔晴てゴール

多くの苦難を乗り越えて来た安藤さん。その表情にはいつも笑顔があり、「顔晴(がんばっ)てゴール」をしてきた姿が見えます。

安藤さんの運営する日本語学校は「つくばスマイル」。そして、バナナポークの直営店は「フレッシュショップスマイル」です。

笑顔を忘れずに晴れてゴールしよう。という安藤さんの想いが込められており、外国人研修生や学生、そしてバナナポークを通じて地元への愛情を深く感じた社長塾となりました。

ファシリテーター:フリーアナウンサー 小村悦子

写真・レポート:宇津井写真事務所 宇津井志穂

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